マルミさんとの平々凡々な日常

小柄でちょいぽちゃ男子(もうすぐアラサー)な「マルミさん」との同棲日記。マルミさん、たまにはいいこと言うんです。

仕事という名の敵

こんばんは。あさりです。

 

3日坊主には勝利したものの、1週間も続かない意志の薄弱さ。笑

でも2ヶ月経ってるのにまた書こうとするこの図々しさ、これはあさりの武器かもしれませんね。

 

さて、今日はマルミさんと映画を観に行ってきました。映画は面白かったですが、今日ここで話したいのは仕事と気持ちのコントロールのこと。

 

なぜそれを書こうと思ったかというと、『ちょっと今から仕事やめてくる』という映画の予告を見たからです。

 

この作品、わたしは数ヶ月前に何気なく文庫本を買って読みました。1,2日で読み終えたと思いますが、もうボロボロ泣きました。マルミさんに引かれるくらい。笑

でもそれは、すべてが感動の涙ではなく、何故か急に、流れ出てきた涙でした。

 

このお話は、ブラック企業で働き始めて数年の主人公が、線路に飛び込もうとしたところを小学校の時同級生と自称する男に助けられるところから始まるヒューマンドラマ的小説です。

主人公が自分を取り戻していく描写も多い中、もちろん主人公が線路に飛び込むまでになる過程の心理描写が、まあ詳細なわけです。

わたしが自分でも理由のわからない涙を大量に流したのも、その描写でした。

 

世の中そんな思いをしてる人なんてたくさんいるんでしょうが、私も入社して半年後から約1年ほど、厳しい上司、中途半端な先輩社員、感情的な取引先、行きたくないのに度重なる海外出張、プレッシャー、仕事がわからないことへの不安、不規則な生活、などなど本当にいろんなことが重なり、精神、身体ともに最悪の状態の時がありました。

会社に行くだけで涙が出る。電話で話していて少しでも気になることを言われると涙が出る。忙しさや分からなさでパニックになる。帰り道電車の中からずっと涙が止まらない。日曜の夜になると何処にいても不安になる。化粧をするのも億劫。起き上がれなくて友達とのご飯の予定にも1時間くらい遅刻する。暴飲暴食。日中立ってても倒れそうなくらい眠くなる。生理が止まらなくなる。

このときはまだ一人暮らしで、しかも慣れない土地に引っ越しちゃって、それが結構賑やかな場所だったこともあり、家にいても外で人の声がずっとしてる環境自体、私を少しずつ蝕むストレスになっていたんだと思います。

 

そのあと上司が変わったり、少し仕事が分かるようになってきたり、ヨガを始めたり、何がきっかけか分からなかったですが、環境が変わるにつれ少しずつ自分を取り戻していきました。でも、このときの記憶はわたしの奥底、ほとんど無意識に近いところにそのまんま眠ってるようで、少しでも思い出そうとすると未だに考えるより先に涙が出ます。

 

今思ってみれば、ほんと、よく死ななかったな、と思います。

 

仕事とかで知らない間に精神的に己を追い込んじゃう人が自殺しちゃうときって、ほんと計画性とか何にもなくて、「ああ、ここで一歩踏み出せば明日会社行かなくていいんだ」みたいな気持ちから、行動に及んでしまうという話を聞いたことがあります。

実際あのときは、そういうことをよく考えました。幸い、行動する勇気がありませんでしたが。

いま冷静に考えたら、「命差し出すくらいなら、どうにかなるから会社やめなよ」って思うんですけど、当事者だったころの自分はなかなかそう思えなかったです。

もう「生きていくこと」を最優先にするのではなく、「明日仕事に行かないこと」がとても素晴らしく、いま一番実現すべきことのように思えてしまうのですよね。

 

でも本当に仕事より大事な命なんてありません。いや、命を賭してもいいという気持ちで仕事をしているのならそれはそれですごく立派なことなんですが、同じ「仕事」でも前者はエネルギーを削り取られるもので、後者は能動的にエネルギーを注ぐものです。

全く正反対のベクトルなんです。

だから、前者においては、ぜんぶ削り取られてしまう前に自分から離れなければならない、ということなんです。そしてそのためには、自分はエネルギーを奪い取られているのだと、自覚する必要があると思います。

そうすれば、それを回避する作戦を立てられますし、このまま引き摺り込まれてはいけないと思えるでしょう。

なんにも気付かずエネルギーを吸い取られているから、悪の親玉が見えなくて、でも居心地の悪い状況から逃れるためだけに、時には「弱っていく自分が悪いのだ」と自分を責めつつ、自分で自分を閉じてしまうのです。

 

でも、大丈夫、敵がわかれば、必ず状況を変えられます。

敵を敵だと思えれば、仲間にする方法も、戦う方法も、逃げ出す方法も、きっと考えることができます。

 

正直わたしはまだ敵とどう向き合っていくか迷っていますが、それをそれとして見たことで、支配されることはあまりなくなりました。

 

人生の大半の時間を費やす「仕事」を、「敵」などと言うのは本当は悲しいことなんでしょうが、正しく対峙できればきっと道は開けると私は信じています。開けた道で、また一緒に迷いながら、進んでいきましょう。

 

そしていつか、仲間にしたいと思えるものと出会うことが、今のわたしの目標です。