マルミさんとの平々凡々な日常

小柄でちょいぽちゃ男子(もうすぐアラサー)な「マルミさん」との同棲日記。マルミさん、たまにはいいこと言うんです。

ブレないために。

最近荒んでいる。よくない。

 

基本的に無気力、やる気が出ると攻撃的になる。圧倒的年上しかいない場所なのに、やたらとアグレッシブに行ってしまう。

思い上がってるのだろうか。調子に乗ってるのだろうか。謙虚さがなくなってきたのだろうか。

 

確かにそれはあるかもしれない。けど今の環境にすごい不満があるのは間違いない。

数字は追うべきだし利益が大切なのはもちろんわかっている。だけどそれを眺めていてどうする?数ヶ月先の数字を毎週正確に予測する必要性がどこにある?

会社で決められた見直しのタイミングでやればいいではないか。そんなことばかりしていて利益の数字が上がるのか?

 

一般的に利益を見ることは大切だ。

大切だが、なんだかゴールが違う。毎月の予測精度を上げることに終始している気さえする。私たちは数字を正確に予想することが仕事なのではないはずだ。予想の中にありもしない数字を作り出すことが大切なはずだ。

エネルギーのかけ方が、絶対におかしい。

 

しかし感情的になると一方向からしか物事が見えなくなる。それは私にとってプラスではない。多角的にものを見て、論理的に長所と短所話を見つめて、その上で総合的に判断できなければ若気の至りでしかないし、中学生の反抗期となんら変わらない。

 

感情でものを言った瞬間に説得力はなくなり、若い女という比較的弱い立場にいるわたしのような人間は圧倒的に足元が不安定になる。

 

「負けたくない」と思っている。

けれど、誰か個人より能力が上だと証明したいというわけではなく、今この自分の考えが正しいのだと客観的に説明して全員を黙らせたい。徹底的に反論ができないようにしたい。

それには偏見を持っていてはならない。肯定すべきところはしなくては、客観的な説明ではなく一方的な文句になるだけだ。

 

だから、良し悪しの分別を。そして改善への糸口を。

 

 

私だけでも、前に進む方法を考えなくては。

 

仕事という名の敵

こんばんは。あさりです。

 

3日坊主には勝利したものの、1週間も続かない意志の薄弱さ。笑

でも2ヶ月経ってるのにまた書こうとするこの図々しさ、これはあさりの武器かもしれませんね。

 

さて、今日はマルミさんと映画を観に行ってきました。映画は面白かったですが、今日ここで話したいのは仕事と気持ちのコントロールのこと。

 

なぜそれを書こうと思ったかというと、『ちょっと今から仕事やめてくる』という映画の予告を見たからです。

 

この作品、わたしは数ヶ月前に何気なく文庫本を買って読みました。1,2日で読み終えたと思いますが、もうボロボロ泣きました。マルミさんに引かれるくらい。笑

でもそれは、すべてが感動の涙ではなく、何故か急に、流れ出てきた涙でした。

 

このお話は、ブラック企業で働き始めて数年の主人公が、線路に飛び込もうとしたところを小学校の時同級生と自称する男に助けられるところから始まるヒューマンドラマ的小説です。

主人公が自分を取り戻していく描写も多い中、もちろん主人公が線路に飛び込むまでになる過程の心理描写が、まあ詳細なわけです。

わたしが自分でも理由のわからない涙を大量に流したのも、その描写でした。

 

世の中そんな思いをしてる人なんてたくさんいるんでしょうが、私も入社して半年後から約1年ほど、厳しい上司、中途半端な先輩社員、感情的な取引先、行きたくないのに度重なる海外出張、プレッシャー、仕事がわからないことへの不安、不規則な生活、などなど本当にいろんなことが重なり、精神、身体ともに最悪の状態の時がありました。

会社に行くだけで涙が出る。電話で話していて少しでも気になることを言われると涙が出る。忙しさや分からなさでパニックになる。帰り道電車の中からずっと涙が止まらない。日曜の夜になると何処にいても不安になる。化粧をするのも億劫。起き上がれなくて友達とのご飯の予定にも1時間くらい遅刻する。暴飲暴食。日中立ってても倒れそうなくらい眠くなる。生理が止まらなくなる。

このときはまだ一人暮らしで、しかも慣れない土地に引っ越しちゃって、それが結構賑やかな場所だったこともあり、家にいても外で人の声がずっとしてる環境自体、私を少しずつ蝕むストレスになっていたんだと思います。

 

そのあと上司が変わったり、少し仕事が分かるようになってきたり、ヨガを始めたり、何がきっかけか分からなかったですが、環境が変わるにつれ少しずつ自分を取り戻していきました。でも、このときの記憶はわたしの奥底、ほとんど無意識に近いところにそのまんま眠ってるようで、少しでも思い出そうとすると未だに考えるより先に涙が出ます。

 

今思ってみれば、ほんと、よく死ななかったな、と思います。

 

仕事とかで知らない間に精神的に己を追い込んじゃう人が自殺しちゃうときって、ほんと計画性とか何にもなくて、「ああ、ここで一歩踏み出せば明日会社行かなくていいんだ」みたいな気持ちから、行動に及んでしまうという話を聞いたことがあります。

実際あのときは、そういうことをよく考えました。幸い、行動する勇気がありませんでしたが。

いま冷静に考えたら、「命差し出すくらいなら、どうにかなるから会社やめなよ」って思うんですけど、当事者だったころの自分はなかなかそう思えなかったです。

もう「生きていくこと」を最優先にするのではなく、「明日仕事に行かないこと」がとても素晴らしく、いま一番実現すべきことのように思えてしまうのですよね。

 

でも本当に仕事より大事な命なんてありません。いや、命を賭してもいいという気持ちで仕事をしているのならそれはそれですごく立派なことなんですが、同じ「仕事」でも前者はエネルギーを削り取られるもので、後者は能動的にエネルギーを注ぐものです。

全く正反対のベクトルなんです。

だから、前者においては、ぜんぶ削り取られてしまう前に自分から離れなければならない、ということなんです。そしてそのためには、自分はエネルギーを奪い取られているのだと、自覚する必要があると思います。

そうすれば、それを回避する作戦を立てられますし、このまま引き摺り込まれてはいけないと思えるでしょう。

なんにも気付かずエネルギーを吸い取られているから、悪の親玉が見えなくて、でも居心地の悪い状況から逃れるためだけに、時には「弱っていく自分が悪いのだ」と自分を責めつつ、自分で自分を閉じてしまうのです。

 

でも、大丈夫、敵がわかれば、必ず状況を変えられます。

敵を敵だと思えれば、仲間にする方法も、戦う方法も、逃げ出す方法も、きっと考えることができます。

 

正直わたしはまだ敵とどう向き合っていくか迷っていますが、それをそれとして見たことで、支配されることはあまりなくなりました。

 

人生の大半の時間を費やす「仕事」を、「敵」などと言うのは本当は悲しいことなんでしょうが、正しく対峙できればきっと道は開けると私は信じています。開けた道で、また一緒に迷いながら、進んでいきましょう。

 

そしていつか、仲間にしたいと思えるものと出会うことが、今のわたしの目標です。

 

 

戦友とのお別れ

こんばんは。あさりです。

 

今日は少し寂しく、嬉しいことがありました。

 

韓国の関連会社の方で、入社時からお世話になっていた韓国人のおじさんが異動することになったと。

その方、かなりの熱血漢で、入社したてのヒヨッコだったわたしはかなりイジメ抜かれました。笑

その頃は話すのも本当に嫌で、メール打つのすら嫌で、この人早くいなくならないかなとばかり思ってました。ノイローゼみたいになったな。

でも、言われてばかりは嫌だったので、一生懸命知恵をつけて立ち向かって、対等に話せるように自分を奮い立たせて立ち向かいました。

 

そうしたら、いつからだったか、「根性があるいい奴だ、妹のようだ」と言われるようになりました。

(まあ年の差で言えばどっちかと言うと娘ですけどね)

 

それから2年ほど、ときどき言い合いをしながらも仲良くなれて、仕事もやりやすくなっていきました。

 

出会いと別れの季節です、異動は仕方ないので、これまでのお礼をお伝えしたら、

「もっと一緒に大きい仕事したかった。ここまで育ってくれて本当に嬉しい」と言ってくださいました。いやこれは愛されてるなワタシ。笑

 

自分を評価してくれるのは勿論ですが、こんな小娘を戦友のように扱ってくださることが、やっぱり嬉しいですよね。

 

3年前、彼のあたりの強さに怯えていた自分に、「どうにかなるから、正面から当たっていけ!」と言ってあげたいですね。たぶん当時の私は「無理!イヤ!」っていうと思いますけど。笑

 

新しい担当の方ともいい関係を作っていけたらいいな。

「やりたいこと」探しの旅。

「やりたいこと」って何でしょう?

 

あさりは営業女子です。付き合うのは男の人ばかりで、しかもオジサンが殆どです。

 

仕事を始めてから父親と仕事論的なものを語ることが多くなりました。わたしはこれまで培ってきた小生意気さと小賢しさでオジサンたちにも突っかかります。思ったことは言いますし、自分が正しいと思えば反論し続けます。

 

わたしの父親は、ある日わたしに言いました。

「誰にでもそんな態度で行くなよ」と。

 

(わかってるっつーの!言われなくてもやってるわボケ!)

 

誰も彼も、理想としているコミュニケーションの形は違いますし、一番気持ちのいい会話の形も其々です。

完璧に出来ているとは思わないけれども、気を付けているつもりです。

 

そんな気遣いからか、営業に向いていると良く言われます。

でもわたし、そんなに対人関係得意じゃないんですよね。相手に合わせるのは得意ですが、それは「作業」のひとつ。

やっぱり、疲れます。

 

やりたいことと出来ることは違うとよく言いますし、就活の時はどちらかといえば「出来ること」に焦点を当てていました。

しかし「やりたいこと」という視点は持っておくべきだったのではないか?

今ではそう思っています。

 

まずモチベーションがわかない。

なぜ自分がこんなに頑張っているのかわからない。

毎日会社に行くのが辛い。

自分が何のために生きているのかわからない。

 

やると決めたらどんなに嫌でもやらないと気が済まないタイプのあさり。まあこの辺を堂々巡りです。

 

そんなあさりは、絶賛「やりたいこと」模索中。

まあ「自分探しの旅」が個人に及ぼす影響力については昔からずっと疑念を抱いている派のあさりですが、社会人になると学生と違って自動的に3,4年単位でリセットされることはない。

 

そしたら、「次にやってみたいこと」は、自分で見つけるしかないよね?

 

そんな思いから、ブログを書いています。

 

自分のやりたいことがわからないあなた。

一緒に見つけていきましょう。絶対、何か、自分の思い描く幸せ、嬉しさ、楽しさ、そういうものを掴めると、わたしは信じています。

 

今日も読んでくださり、ありがとうございます。

忘れられない人

特別お題「おもいでのケータイ」

 

「忘れられない人」って、いますか?

 

わたしは高校の時に片思いをした同級生のことが、もうずっと忘れられません。勿論、マルミさんとは別人です。

 

高校の3年間、ずーっと好きでした。

でも、2年生のはじめに、彼が学年でもトップを争う可愛さと誰もが認めていた女の子と仲良く歩いている姿を偶然見かけて。

あっ、、って思った次の瞬間に、わたしは「彼女には果たせない位置で彼の中に入り込もう」と。そう思ったのです。

 

幸か不幸か、彼とは3年間ずっと同じクラスでした。

 

1年生のとき、クラスの雰囲気が完全に恋愛モードで、同じくクラスメイトに恋をする友達と励まし合って(?)、人生でも一番と思えるほどアタックしました。柄にもなく毎日メールを送って、彼の趣味だったロックを聴いて、なんとか話を合わせようとした。告白とか出来なかったけど、部活上がりの彼を待ってバレンタインにチョコをあげたこともありました。どんなまぐれだったのか分からないけど、ホワイトデーのお返しも貰いました。

 

でも、現実は甘くなかった。

 

2年生の春だった。そのとき友達と食べていたたこ焼きの味もわからなくなるほどに、その光景はショックだった。

わたしじゃ到底勝てない。お似合いだ。ぜんぶわたしの勘違いだった。

そう思いました。

 

その瞬間、わたしはずっと欲しかった「彼女」という地位を得るのを諦めました。そのかわり、徹底的に「友達」になる。それを心に決めました。

 

それから私は、まずメールの仕方を変えました。頻度を減らした。絵文字も減らした。女友達に送るのと同じトーンで、あくまで自然に、「私は友達だと思ってるんだよ」っていうのをアピールするように。

 

勿論辛かったです。恋に破れて泣いたのはあの時が一番だったかも。

でも私は自分の選択が間違っていないと思ってその姿勢を崩しませんでした。何より、彼に話しかけてもらえなくなることが一番辛かったから。

 

それから友達として接するようになって、学校行事とか受験とかいろんなことを程よく近い距離で経験して。

彼の中でもわたしの立ち位置が「友達」として高まってるのを感じました。クラスの女子たちに、「一番仲良いよね」って敢えて言われるレベルまで。

 

けれど、学生時代とは限りがあるものです。高校生活が終わるとき、わたしは運良く東京の大学に合格し、彼は関西の大学に。私にはなんの拘束力もないことはわかっていたけど、それでも何かしら、彼を思い続けた3年間の気持ちを伝えたくて、愛の告白なんて思い切ったことのできないわたしは彼に1通のメールを打ちました。

 

3年間、同じクラスだったね。ずっと一緒で良かった。お世話になって、ありがとう。と。

 

返しづらいよなあ、そんなことを思って変な緊張と後悔を感じながら自分の部屋で悶々としていたら、間も無く。

 

「俺も、お前と3年間一緒で良かった」

 

大学に入って、ケータイも変えたけど、使えないケータイを大事に保管して、時折‘保護’したそのメールを見ながら、元気付けられていました。

 

3年前の同窓会で会ったっきり、彼には会っていません。同窓会は、楽しかった。

今でもときどきあの頃の気持ちを思い出して、会いたくなることもあるけど、あの思い出は、なんだかこのまま大切にしたい。そう思います。

 

一世一代の大勝負に出たあのときも、友達になろうと決意したあのときも、欲しいと思った以上の言葉をもらったあのときも、着うたはずっと、彼からのメール受信だけ、Crystal Kの『恋に落ちたら』で。なんで早く鳴らないのかと思いながら、もう鳴らなくていいと思い続けた。

 

3年間、片時も離れずわたしの青春を見守ってくれた、白くて分厚くて重い、二つ折りのガラケー

au のW51H(調べたわ笑)。

 

あー!懐かしいー!!!o(^▽^)o

 

 

 

 

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三日坊主って結構マジメ。

こんにちは。あさりです。

前回の投稿から8ヶ月ほど経ちました。3回目の投稿。

三日坊主って3日頑張るだけまだいい方だわ。

 

そう、あさりは責任感が強い割りにそのガソリンは「見栄」なので、自己完結的努力が続かない傾向にあります。

ダイエットしかり。早寝早起きしかり。自炊しかり。

勉強はできる方でしたし、やってました。でもそれは自分のためになるからと言うより、いい成績を残して認めてもらいたいから。要はやっぱり見栄ですね。

 

というわけで、人に読んでもらう努力をしようと思います。日記じゃなくてブログという手段を選んだのも見てもらいたかったからなのです。実は。

とりあえず一見さんでいいからアクセス数から稼いで行かないといけませんね。

出来る限り努力してみようと思います。

 

まずは“三日坊主”に宣戦布告。

 

 

 

結婚願望とは

あさりです。こんばんは。

 

マルミさんと共に暮らしてから、それを知ってかしらずか、「結婚しないの?」と聞かれることが多くなりました。

実は、マルミさんとは結婚について話をしたことはほとんどありません。確か、「何歳までに結婚したい?」と5年ほど前に聞かれたことはありましたが、「まあ30くらい?」と至極無難な回答をした記憶しかありません。

 

私もマルミさんも、結婚を意識していないというのではありません。マルミさんは無頓着無関心に見えて大真面目なので、いざという時までは核心的なことは口に出せないのではないかとも思ってます。

 

ではなぜ、あさり氏はその話をしないのか?

 

簡単なことです。あさり氏には世に言う「結婚願望」がありません。

ゆえに、自分が結婚するという事に全く実感が湧きません。

微妙な仲の両親を見て来たからか、恋愛より人の期待に応えることに重きを置いてきたからか、結婚したいと強く思ったことがありません。友達の結婚式に参加しても、小さい子供を見ても、です。

決して結婚したくないわけではないのです。結婚というものに対して積極性に乏しいというだけです。

 

それに似て、「子供が欲しい」という願望もありません。特別子供が好きなわけではないので(嫌いなわけでもないですが)、まあ将来子供がいなくてもいいかな、とは正直思ってます。

 

難しいのは、結婚願望はないけど、パートナーという存在は欲しいということ。

心の拠り所、助け合える存在、そういうものは欲しいと思う。

 

単純に、恥ずかしいだけなのかもしれません。

これまでの人生、好きな人レベルならいたものの恋愛に生きるような人生ではなかったので、自分が恋愛してるということすら照れくさいわけです。

それが結婚だなんて、THE・女の幸せを喜ぶなんて、私にそんな資格はないと思ってるのかもしれません。

 

あさり氏は、女としての自信が著しく欠けているのです(見栄は張ってますが)。

 

それでも誰かに大切にしてもらえるというとはとても有難く、幸せなことで、そういう関係の先に「結婚」という節目があるなら、それはきっと重要な節目なのだろうと思います。

 

もう少し真面目に、考えてみようかなあ。